自然を食す。← ASO
SHIZEN WO SHOKUSU

生産者と囲む、熊本・あか牛を食す特別な夜

「自然を食す。」は、生産者と料理人、そして消費者がともに食卓を囲む1日限りの食事の場だ。土地を知り、生産者に出会い、その食材を食べることで、次のアクションを生み出す。

TEXT / PHOTOGRAPHYICHIRO EROKUMAECONCEPTTAKU AOYAMACHEFKEISUKE SENOPRODUCERRYUHEI YOSHIDA
自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
PHOTOGRAPHY / ICHIRO EROKUMAE

「自然を食す。」は、生産者と料理人、そして消費者がともに食卓を囲む1日限りの食事の場だ。土地を知り、生産者に出会い、その食材を食べることで、次のアクションを生み出す。

食の根源的な意味を問い直し、その未来を創り出そうとするプロジェクトの発起人は、東京・神楽坂にあるイタリアン「グラサラ」のオーナーシェフ・青山拓氏である。青山氏は、経済的な成功を目指すレストラン経営とは異なる価値観で食と農の関係の再編、レストラン発の新しい文化を生み出したいとスタートした。

「自然を食す。」の食事会がグラサラにて開催された。今回クローズアップされたのは、熊本・阿蘇の「あか牛」。産地からあか牛の生産者「三協グループ」の吉田竜平氏を招き、ともに食卓を囲むという、これまでにない濃密な時間が流れた。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
PHOTOGRAPHY / ICHIRO EROKUMAE
自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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皿の上だけでない空間も使って伝える「あか牛」の魅力

テーブルには、あか牛の飼育環境を連想させる稲わらがショープレートに載せられ、この食卓が産地と参加者を繋ぐ場であることをダイレクトに想起させる演出が施されている。

ここで今回用意された「あか牛」について触れておきたい。「熊本あか牛」に代表される褐毛和種(あかうし)は、黒毛・日本短角・無角と並ぶ「4大和牛」の1つであり、熊本のほかに高知の「土佐あかうし」が知られている。市場の9割以上を占め、強い霜降りを特徴とする黒毛和種に対し、あか牛は肉本来の味わいを楽しめる「赤身肉」の代表格だ。

さらに、三協グループのあか牛は、牧草や藁といった一般的な飼料の他に「米」を与えているのが特徴である。放牧主体とは異なり、長年の研究で生まれた配合飼料と阿蘇の美味しい水で育つことで、赤身ながらも適度に美しいサシが入る。うま味だけでなく、香りと柔らかさを兼ね備えたハイブリットな身質を持つのだ。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
PHOTOGRAPHY / ICHIRO EROKUMAE
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この日の料理を託されたのは、東京・牛込柳町のカウンターフレンチ「ドゥエリーニュプリュス」の瀬野景介氏である。食材への真摯なまなざしで衒いのない料理で素材と対話する料理人だ。また、食事会では青山氏自身がファシリテーター役としてサービスを担当した。

料理はあか牛の端材の肉などと香味野菜でとったコンソメからスタートする。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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あか牛コンソメ鰹/根セロリ

コンソメには藁焼きにしたカツオを加えている。カツオがもつ血のニュアンスには、さらに根セロリの香りを重ねて土の風味も加わっている。この大胆な組み合わせで瀬野シェフは「あか牛の血」を表現したかったという。「食は命をいただく行為」という根本的な問いかけを宿す、野心的なひと皿だ。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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レバーヘーゼルナッツ/香菜

あか牛の新鮮なレバーを使い、バルサミコ酢を煮詰めた甘酸っぱいソースや香菜(パクチー)、ヘーゼルナッツを合わせてイタリアンのアグロドルチェ(甘酸っぱい料理)的な解釈で、地中海・中東風に仕上げたひと皿が続く。レバーの力強さに負けないオリエンタルな組み合わせは、フレンチだけでなくイタリアンも経験してきた瀬野シェフならではのレバー料理だ。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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モツ蕎麦

あか牛のモツ(内臓)を豆乳ベースの出汁に加えたつけ蕎麦が続いて登場する。

「イタリアンにつけ蕎麦?」と驚くかもしれないが青山氏は、グラサラでは、「イタリアン×蕎麦」を融合させた独自のスタイルである「イタソバ」を生み出し、国内外から評価を得ている。青山氏のシグニチャーディッシュなのだ。

この日は、貴重なあか牛の内臓をつけ汁に仕立てた。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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じつは、畜産の流通ではレバーも含めた内臓を生産者名で指名買いすることは難しい。処理場で解体された内臓は、肉とは別に処理された後、ひとまとめにされ販売される。つまり「●●県産の内臓」はあるが、「●●生産者の内臓」を手に入れるのが難しいのだ。

吉田氏によれば、およそ1300頭を飼育する三協グループならではの安定した出荷状況が、貴重な内臓の入手を可能にしているという。この貴重な内臓の香りに青山氏は芳醇なトリュフの香りを重ね、この日限りのイタソバで参加者を魅了していた。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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ホホ赤ワイン煮アスパラガス

あか牛のホホ肉を赤ワインで煮込んだフランスらしい肉料理だ。

ホホ肉から溶け出したゼラチン質が表面を覆いホロホロの肉質とのコントラストと口のなかでの余韻を生み出す。バターなどを加えず、ワインだけで煮込んでいるため味わい自体は軽やか。煮込み料理ならではの力強さを保ちながらも、重たさを感じさせない仕上げに、瀬野シェフの技術と感性が見事に宿っている。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
PHOTOGRAPHY / ICHIRO EROKUMAE
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この料理を吉田氏は「今まで食べた煮込み料理のなかで一番、感動しました」と絶賛した。

「ソースは美味しくても、煮込みすぎてお肉が出がらしみたいになってしまうことが多い印象なのですが、瀬野さんの煮込みはお肉がおいしい。素材をしっかりと伝えてくださる料理が食べられるのは、生産者としてとてもうれしい瞬間なんです」とその想いを食卓に向けて語りかける。

消費者だけが客席につく通常のレストランとは違う、作り手と買い手が食材を介して響き合う価値を実感する瞬間だった。

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サーロインドフィノワ

コースの最後は、あか牛のサーロインを炭火焼にしたステーキが供された。フランス南東部ドーフィネ地方発祥の郷土料理で、スライスしたじゃがいもを牛乳やクリームで焼き上げるグラタン料理「ドフィノワ」が添えられている。

「赤身主体ながらも適度に入った脂」というこのあか牛の特徴を瀬野シェフは、炭火焼という手法を用い、プロならではの繊細な火入れで見事に表現した。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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一般的な和牛である黒毛和種とは違った赤身のうま味と香りに、三協グループの飼育技術が加わったハイブリットなあか牛を食べた参加者は「サーロインなのにたくさん食べられる」「脂があっさりしている」と、そのおいしさを表現していた。

「自然」とは人間が作り出した苦し紛れの境界線だった

「自然を食す。」。この一見、心地よいエコロジカルな響きを持つ言葉の裏には、私たちが生きる近現代社会の前提を根底から揺るがす問いが隠されている。

そもそも、私たちが日常的に使う「自然」という言葉は何を示しているのだろうか。

実は、この概念自体が極めて人工的な代物である。かつての日本において「自然(じねん)」とは「おのずからそうある姿」を意味し、人間を内包する世界そのものを指していた。しかし明治期以降、西洋の「Nature」の訳語として再定義されたことで、それは「文明」や「人間」の対義語、すなわち「人間の外側にある管理・消費されるべき対象」へと変貌した。

つまり「自然」という概念は人間が作り出した境界線に過ぎず、木々や野生の動物たちにとっては、目の前の環境が世界のすべてであり、彼らが境界を引くことはないから。

人間が「文明」という不自然なものを生み出してしまったがために、「自然」という言葉を使って境界線を定義せざるを得なかったのだ。

産地に思いを馳せ、生産者の物語に共感しながら美しく食材をいただく――それは確かに現代の豊かな食体験かもしれない。しかしそれは、まだ人間と自然を切り離した近代的な人間中心主義の枠内にとどまっていると言い換えられるだろう。

だからこそ、経済合理性が求められるレストランを経営する青山氏が、店舗とは別の枠組みでこの「自然を食す。」プロジェクトを走らせる意味は深い。

日々、効率や再現性、原価率といった「資本主義のルール」の最前線に身を置くからこそ、この試みは近現代の生産主義への強烈なアンチテーゼとなる。

「自然を食す。」の本質は、外側に置かれた客観的な「自然」を鑑賞することではなく、それを咀嚼し、人間の内部に取り入れて同化させる行為である。そしてそれは、食べることを通じて、私たちは近代社会が作り上げた「人間と自然」という二項対立の壁を突き破るものでもあるだろう。

この行為を通じて、参加者は一時的に社会の構成員であることをやめ、剥ぎ取られた生の野生へと向かうことになるだろう。その体験は、少し恐ろしいことに感じるかもしれない。

しかしその境界を越えた先に見える景色は、美しく尊い世界が広がっている。「自然を食す。」の体験は、そんな世界を生産者と料理人、消費者とともに共有するためにあるといえる。

高度に効率化されたことで均一化してしまった現代レストランにどこか物足りなさを感じているすべての人へ。「自然を食す。」には、ただ美味しいだけではなく、五感と知性が歓び、食べることで心がすっと整っていくような未知の食体験がある。

本質的な食を愛するあなたにこそ、次回はこの特別な食卓の特等席に、ぜひ座ってほしい。

自然を食す。熊本・あか牛の食事会写真
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本質的な食を愛する人へ。
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